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[ポンド危機]19年前の出来事 - 1992年9月16日

突然ですが、今から19年前の1992年9月16日に起きた出来事を皆さんはご存知でしょうか。
いわゆる「ポンド危機」で、1992年9月に英国ポンドが暴落しました。
下記はFXチャートでのポンドドル、ポンド円の1992年9月の月足データです。

 

( )内の数値は当月高値と安値の差を示しています。
2011年8月と比較するとそのインパクトの大きさをより一層、感じ取ることができるでしょう。

 

ユーロ導入前の当時、欧州通貨制度(EMS)参加国は欧州為替メカニズム(ERM)により通貨の中心レートを設けて、相互に上下2.25%の変動幅の中で相場を推移させる緩やかな固定相場制を採用していました。1990年の東西ドイツ統合後、インフレが発生していたドイツは高金利政策を行っていました。当時の英国では景気悪化により、利下げの必要性がありましたが、ERMの取り決めに基づいてドイツと足並みを揃えて利上げを行うことになりました。これにより英国経済がさらなる景気減速に追い込まれます。

 

このときジョージ・ソロス氏率いるヘッジファンドは「ポンドが市場で過大評価されている」と判断し、大量のポンド売りを仕掛けます。1992年9月15日、ポンド売りの加速により、ポンドの変動幅がEMSルールの上下2.25%を超えます。翌16日午前、イングランド銀行は公定歩合を10%から12%へ引き上げましたが効果は薄く、午後に入るとさらに公定歩合を15%へと引き上げました。それでもポンド売りは止まらず、結果として英国はERMを脱退、変動相場制へ移行することになりました。

 

以上がポンド危機の概要です。1日に2回の利上げを行うとはなかなか想像がつかないですね。ポンド危機は英国経済にとって悪夢のような一日という意味で「ブラックウェンズデー」と言われています。この危機後もしばらくポンド安が続きましたが、その影響で輸出が増加、翌年以降は英国経済は持ち直すことができました。

 

ジョージソロス氏のヘッジファンドは、この危機によって10億から20億ドル程度の利益を得たと言われています。彼の有名な言葉で「市場の間違いがチャンス」というものがあります。市場にはバイアスがあり、一時的にその偏りが存在してもいずれは正当な価格へ戻るという考え方です。この考え方に基づき、当時のポンドの状況をチャンスと見て行動を起こした訳です。その行動からソロス氏は「イングランド銀行を打ち負かした男」と名づけられ、一躍有名になりました。

 

最近の相場を眺めると、スイスフランがこの出来事を連想させる状況になっているように思います。2011年8月、世界的なリスク回避の高まりから逃避目的でスイスフランへ資金が大量に流入し、スイスフラン高となりました。現在はスイス中銀の無制限介入により支えられていますが、スイス中銀はいつまでこの状況に耐えられるのでしょうか。いずれポンド危機のように、この水準を崩す勢力が現れるかもしれません。

 

歴史は繰り返すものなのか、今後の動向に注目していきたいですね。